中堅企業のためのABM入門
新規獲得と既存拡大を両立するには
目次
新規獲得と既存拡大を両立するには
――ABMという「企業単位で売上を設計する」考え方
想定読了時間 5〜8分 | 営業マネージャー向け
「今年も、いつもの得意先から同じだけ受注できるだろう」。営業会議で、そんな前提に立っていないでしょうか。
長年の取引は、中堅企業にとって大きな資産です。ただし、今期の売上がそのまま来期も残るとは限りません。顧客の倒産や事業縮小、予算の見直し、競合への切り替え、担当者の異動。こうした変化によって、既存売上は少しずつ減っていきます。
必要なのは、新規か既存かの二者択一ではありません。既存売上を守る。同じ顧客の中で取引を広げる。さらに、採算の合う新規顧客を獲得する。 この三つを、同時に考えることです。
まず確認したいのは、既存売上が減る理由です
売上が減る理由には、すぐに数字へ表れるものと、少し先の減少につながる変化があります。分けて見てみましょう。
- 顧客が市場から退出する:
東京商工リサーチの2025年全国企業倒産集計では、負債総額1,000万円以上の倒産が1万300件で、前年比2.9%増でした。負債規模1億円未満が7,892件と、全体の76.6%を占めます。
負債規模は企業規模そのものではありませんが、取引先が突然いなくなるリスクは、決して一部の会社だけの話ではありません。
- 予算の優先順位が変わる:
IPAの「DX動向2026」では、58.0%の企業が生成AIを含むAIを導入、または試験利用しています。
AI・DXへ投資が移れば、今使っているサービスにも効率化や代替の見直しが入ります。AIが直接解約を生むとは限りません。それでも、予算の行き先が変わる可能性は見ておく必要があります。
- 競争相手が増える:
政府資料では、国内スタートアップ数が2021年の1万6,100社から2万5,000社へ増えています。すべてが自社の競合ではありません。
ただ、新しい技術や料金体系を持つ選択肢が増えれば、既存取引も比較されやすくなります。内閣官房の2025年改訂版は、その変化を考える材料になります。
- 顧客側の意思決定が変わる:
担当者の異動、事業統合、購買ルールの変更があると、長年の取引でも見直しの対象になります。
HubSpot Japanの2026年調査では、2社以上を比較した買い手が80.3%でした。既存ベンダーであることは強みです。しかし、比較されない保証ではありません。

※この図は本文の論点を整理した説明用イラストです。図中の企業・人物・状況は実在の事例ではありません。
年間計画は「確定」と「見込み」を分けて見る
営業会議で「案件は30億円分あります」と聞くと、計画を達成できそうに見えます。
ですが、その30億円は本当に売上になるのでしょうか。
年間30億円を計画する中堅SIerを例に考えます。
年度の早い段階で、売上が確定している案件が15億円、確度の高い案件が9億円、確度が中程度の案件が4億円、確度の低い案件が2億円あるとします。合計は30億円です。ただし、確定しているのは半分の15億円だけです。
売上予測は、案件ごとの受注確率を掛けて別に計算します。さらに、確度高・中・低に含まれる既存案件のうち、予算削減や競合への切り替えで2億円ほど減りそうだとします。
この2億円は、30億円からもう一度差し引く金額ではありません。見込み案件の中で、特に減額や失注へ注意したい金額です。
つまり、確定15億円を守るだけでは足りません。確度高の9億円を受注へ進め、確度中・低の6億円を育てながら、減少に備えた新しい案件も年間を通じて積み上げる必要があります。
年度計画では、売上を次の三つに分けて考えます。
- 既存維持:今ある顧客・契約・受注を、減額や失注なく残す売上
- 既存拡大:同じ顧客の別部署、別拠点、別サービス、追加用途から生まれる売上
- 新規獲得:これまで取引のない企業から生まれる売上
売上の確度と、売上の出どころは別の軸です。
例えば、確度高の9億円にも、既存維持、既存拡大、新規獲得が混ざっています。
案件ごとに両方を記録すると、どこまで確定しているかと、新しい成長をどこまでつくれているかを分けて確認できます。
既存顧客を守るときも、解約を防ぐだけで終わらせません。利用部門が縮小していないか。成果が社内で共有されているか。契約判断が一人に偏っていないか。こうした点を確認すると、別部署、別拠点、別用途へ広げる機会も見えてきます。

※確度、金額、減少リスクは年間計画の見方を説明するための仮定です。図の「案件総額」は確度を加味する前の額面合計で、売上予測とは別です。減少リスク2億円は、30億円の案件見込みに含まれる既存案件のうち、特に注意する金額として示しています。
新規は「何社取るか」で採算が変わる
新規顧客を増やせば、売上の問題は解決する。
そう考えたくなるかもしれません。ただ、対象を決めずに件数だけを増やすと、今度は採算が悪くなります。
企業を調べる。担当者へ連絡する。提案書と見積書を作る。契約審査、導入、請求、問い合わせ対応を行う。どれだけ効率化しても、1社ごとに最低限かかる手間と費用はゼロになりません。
例えば、30億円規模の中堅SIerが、年間3億円の新規売上を計画するとします。年間3,000万円の顧客なら10社。複数部署・拠点への展開を含む年間1.5億円の顧客なら2社です。
説明のため、提案から導入までの最低限の対応費を1社500万円と置きます。前者は合計5,000万円で、新規売上の約16.7%。後者は合計1,000万円で、約3.3%です。これは実績値ではありません。
同じ売上でも、顧客数が増えるほど1社ごとの費用が繰り返し発生するという構造を示すための仮定です。
もちろん、中小企業向けが一律に低採算という意味ではありません。商品を標準化し、オンライン販売や代理店で1社あたりの費用を下げられるなら、採算は合います。
問題は、個別提案型のまま小口顧客だけを増やすことです。製造業なら現地調査・試作・品質保証、商社なら見積・受発注・物流調整が、案件ごとに発生します。
一方、大手案件も商談期間、個別要件、購買・法務・セキュリティ対応が増えます。
したがって、顧客規模別の粗利、1社あたりの新規顧客獲得コスト、商談期間、導入工数、継続期間、売上集中リスクを同じ基準で比べます。

※図中の対応費・変動費・コスト比率は説明用の概念です。1社あたりの最低対応費が顧客数に応じて繰り返し発生する構造を示しています。大手企業でも個別対応コストは増えるため、実際には顧客単位の粗利で判断します。
中堅企業こそ、大手企業も新規候補に入れる
ここでいう大手企業とは、単に従業員数が多い会社ではありません。
複数の部署や拠点があり、購買・法務・情報システムなどの合意が必要な企業です。
個別提案や導入支援を強みにする中堅企業なら、顧客数だけで営業計画を立てるのはもったいないのではないでしょうか。
1社あたりの受注額と、別部署・別拠点へ広がる余地も見ながら、営業の時間を配分する必要があります。
例えばSIerなら、複数工場を持つ企業へ、基幹・生産管理・人事の各システムを段階的に提案できます。一度得た顧客理解を、複数の導入機会につなげられるわけです。
ただし、大手企業なら自動的に高収益になるわけではありません。商談は長くなり、法務・セキュリティ対応も増えます。受注確率、商談期間、粗利、導入工数を顧客規模ごとに比べて、狙う企業を決めます。
参考として、オプロが法人向けサブスクリプションサービス提供企業の個人300名に行った「BtoBサブスクビジネス実態調査2025」では、大手企業を主要ターゲットとする割合が2023年の11%から2025年の25%へ上昇しました。
対象業種が限られるため全産業へ一般化はできませんが、顧客規模別の採算を見直す企業があることを示す補足材料にはなります。
採用の切り口からも、同じ動きが見えます。Sales Retrieverの公開コラム「営業職の年収レンジ比較」で保存した公開求人データでは、国内企業の大手企業担当求人が205件、中小・中堅企業担当が48件。
外資系では、それぞれ125件と48件でした。時点の異なる公開求人を集計した参考値であり、増加率や市場全体の採用数は示しません。
それでも、大手企業担当を独立した専門領域として置く会社が一定数あることは分かります。
大手企業の開拓で、なぜABMなのか
大手企業の商談は、一人の担当者だけでは決まりません。
現場、推進部門、情報システム、購買・法務、経営層など、複数の人が関わります。担当者一人への連絡だけを管理していると、「会社として検討が進んでいるのか」が見えにくくなります。
そこで役立つのがABM(Account-Based Marketing)です。
ABMはツールの名前ではありません。狙う企業を選び、課題・関係者・接点・進み具合を企業ごとに整理し、営業とマーケティングで共有する考え方です。
言い換えると、企業単位で売上を設計する方法です。

※この図は、大手企業へのアプローチで企業単位の視点が必要になる理由を整理した説明用イラストです。
売上を「企業単位」で見直してみる
既存か新規か。
中小企業か大手企業か。
どちらか一つを選ぶ話ではありません。
まず、既存売上が減りそうな企業を把握し、取引を守ります。同時に、別部署・別拠点へ広げる余地を探します。
新規開拓では件数だけを追わず、自社の営業・導入体制で採算が合う企業を選びます。
そのうえで、個別提案力や業務知識に強みがある中堅企業は、自社に合う大手企業を新規で獲得する仕組みも持つべきではないでしょうか。
まず、次の五つを営業会議で確認してみてください。
- 上位1社・5社・10社が全社売上に占める割合
- 年間の既存案件について、確定額、未確定額、減額・失注リスクを分けて把握できているか
- 既存顧客の別部署・別拠点への拡大候補と金額
- 顧客規模別の平均受注額、粗利、1社あたりの新規顧客獲得コスト、営業・導入工数、継続期間
- 新規の大手候補について、自社が解ける課題と実績を説明できるか
次回は、狙う企業の決め方へ
では、どの企業を狙えばよいのでしょうか。次回は、ICP(理想顧客像)を定め、候補の中から今期の重点企業を絞る手順を、架空企業の例も使いながら説明します。
参照した公開データ
以下は本稿の主張を検討するために参照した公開資料です。
各調査は対象・方法・時点が異なるため、自社の実績を置き換えるベンチマークではなく、論点を考える材料として扱ってください。
- 東京商工リサーチ「2025年の全国企業倒産1万300件」
- IPA「DX動向2026」
- 内閣官房「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2025年改訂版」
- HubSpot Japan「日本のBtoB購買に関する意識・実態調査2026」
- オプロ「BtoBサブスクビジネス実態調査2025」
- Sales Retriever「営業職の年収レンジ比較|国内求人と外資系求人の違いを読む」
執筆者
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Sales Retriever株式会社
代表取締役
松本 成行 Nariyuki Matsumoto
東京工業大学でAIを研究後、複数のスタートアップで事業開発に従事。その後、大手企業向けAIシステムの営業や、ABMによるマーケティング戦略に携わる。現在はSales Retrieverを創業し、AI・ABMの知見を生かして企業の大手開拓を支援している。