ABM入門編
既存顧客の売上を偶然に任せない
目次

既存顧客の売上を偶然に任せない
――関係性とポテンシャルを可視化して取引を広げる
想定読了時間:5〜8分 | この記事だけで前提が分かる構成
「この既存顧客には、別の商品も提案できないだろうか」
営業会議で上司から聞かれたとします。
担当者の頭には、いくつか候補が浮かびます。ただ、誰に相談すればよいのか分からない。別の工場の状況も分からない。予算の時期も聞けていない。
既存顧客を担当していると、こんな場面はないでしょうか。
そこで、ABMを既存顧客にも使います。ABMとは、企業を単位に営業活動を組み立てる考え方です。
新規開拓では「どの企業を狙うか」を決めました。既存顧客では、今の取引を守りながら、どこに広げる余地があるかを考えます。
その中心になるのがアカウントプランです。これは、重要顧客とどのような成果をつくり、取引をどう広げるかをまとめた開拓計画です。
難しい資料を作ることが目的ではありません。
顧客の目標、現在の取引、未解決の課題、関係者、次の行動。これらを一つにつなぐことが目的です。
ただし、計画を作るだけでABMになるわけではありません。営業、マーケティング、導入・保守、専門担当が、同じ重点顧客と方針を共有して動くことで、初めて実行につながります。
まず、維持と拡大を分けて見る
取引を広げる前に、確認したいことがあります。
今の売上は、本当に維持できているでしょうか。
新しい契約が増えていても、既存の契約が減っていれば、全体では伸びません。拡大分で減少分を隠してしまうと、手を打つのが遅れます。
Gartnerが2024年10〜11月に営業責任者243人を対象に行った調査では、73%が2025年に既存顧客からの成長を優先しました。
海外を含む調査です。日本の中堅企業の平均ではありません。それでも、既存顧客を「守る対象」だけでなく「成長をつくる対象」と見る動きは参考になります。
製造業・商社や受託型の企業なら、顧客別に次の数字を並べます。
前年同期の売上や粗利、取引部署数、拠点数、案件数、提供サービス数、更新・再発注の有無です。
サブスクリプション型なら、継続分と追加購入分を分けて見ます。指標名を増やす必要はありません。
まずは、減った売上と、広がった売上を別々に見る。ここから始めましょう。
アカウントプランは「情報を埋める表」ではない
「アカウントプランを作ろう」と言うと、顧客情報の空欄を埋める作業になりがちです。
会社概要を書いた。組織図を貼った。売上目標も置いた。
それで、次の行動は決まったでしょうか。
アカウントプランは、情報を並べた一覧表ではありません。顧客が実現したい成果から、取引余地、関係者、次の行動をつなぐ計画です。
唯一の正解や、決まった枚数はありません。本稿では、次の五つをつなぎます。
- 顧客概要:事業、規模、組織、現在の取引など、確認できた事実
- 目的と方向性:顧客が実現したい成果と、自社が目指す取引の姿
- ポテンシャルマップ:どの部署・拠点へ、何を広げられそうか
- リレーションマップ:誰が関わり、誰とどのようにつながっているか
- アクションプラン:目標から逆算した、直近の具体的な行動
大切なのは、五つの欄を埋めることではありません。
顧客の目標がある。そこから取引の広がりを考える。必要な関係者を確認する。そして、次の行動を決める。
一つの話としてつながっているかを見てください。

※アカウントプランに必要な情報を、理解・方針・機会・関係者・行動の流れとして整理した説明用イラストです。特定企業のアカウントプランではありません。
仮想例:東都精機の取引をどう広げるか
ここからは、説明用の架空企業で考えてみましょう。第3回と同じ社名を使いますが、各記事は独立した設定です。第3回のアプローチが成功した事例を示すものではありません。
ミナトシステムズは、社員約300人、売上約45億円の中堅SIerです。SIerとは、企業向けのシステムを提案・開発・導入する会社です。現在、東都精機の本社で基幹システムを導入・保守しています。
東都精機は、本社と4工場を持つ従業員約4,000人の機械部品メーカーです。こちらも架空企業であり、実在の導入事例ではありません。
営業会議では、「人事システムも、生産管理も提案できそうだ」という意見が出ました。
しかし、本当に同時に提案してよいのでしょうか。
まず、現在の基幹システムを安心して継続できるかを確認します。利用部門の不満や更新条件に懸念があるなら、追加提案より先に手を打ちます。そのうえで、1工場の生産管理を拡大候補に置きます。
最初に決めるのは「何を、どこへ広げるか」
取引拡大は、二つに分けて考えると整理しやすくなります。
- 何を広げるか:今のサービスの利用量・機能・用途を広げるのか。別のサービスを提案するのか
- どこへ広げるか:同じ部署なのか。別部署、別拠点、グループ会社なのか
東都精機なら、本社基幹システムのデータ連携を広げる案があります。1工場へ生産管理を展開する案もあります。
この二つを、同じ「追加提案」として扱わないことが大切です。
まず、現在の成果をほかの場所でも再現できるかを確かめます。次に、相手の課題と予算時期を確認します。
人事システムの課題がまだ分からないなら、今は提案しません。
売れそうな商品からではなく、顧客の状況から順番を決める。この考え方が軸になります。
ポテンシャルマップで「広げる余地」を見る
「別部署にも売れそうだ」と言うだけでは、営業会議で優先順位を決められません。
そこで使うのがポテンシャルマップです。これは、どの部署・拠点に、どのサービスを広げられそうかを一覧にした図です。
既契約、現在商談しているもの、将来の候補。この三つを分けます。
金額を比べるときは、期間と計算方法もそろえます。
東都精機の図では、今後3年間に計上する導入費と保守費の合計で比較します。既契約1,500万円は、本社基幹システム全体の初期導入費ではなく、今後3年間の保守・小規模改修分です。
既契約は1,500万円。商談中は4,500万円。将来見込みは1億9,500万円です。未契約の導入余地2億4,000万円は、商談中4,500万円と将来見込み1億9,500万円の合計です。
ここで注意したいことがあります。
図では、顧客へまだ確認していない候補を「将来見込み」と表示しています。これは仮説上の導入余地(未確認)であり、売上予測へそのまま入れてはいけません。
「金額が大きいから、優先しよう」と考えていないでしょうか。受注の可能性を考慮した金額は、別に持ちます。

※金額は説明用の仮説です。既契約・商談中・将来見込みを混ぜず、粗利、導入工数、受注確度と合わせて確認します。
候補ごとに、顧客の課題、自社との相性、事業への影響、関係性、タイミングを確認します。
情報がなければ、低い点数を付ける必要はありません。「未確認」と書き、次の質問へ変えます。
ポテンシャルの大きさと、情報の確かさは別物だからです。
その確認結果を、「事業への影響」と「提案を始める準備ができているか」の二軸にまとめます。営業会議でも、次の行動を決めやすくなります。

※候補の位置づけは説明用の仮想例です。事業ポテンシャルと実行準備度の2軸で優先順位を整理しています。情報の確かさは、未確認の項目として別に更新します。
東都精機では、1工場の生産管理を最初の候補にします。全社展開は、1工場で成果を確かめてから判断します。
人事・勤怠は、課題と更新時期が分かるまで保留です。マップは月次または四半期で見直します。
リレーションマップで「誰と進めるか」を見る
候補が決まっても、相手が決まらなければ動けません。
本社の情報システム部とは話せる。しかし、生産企画部とは会ったことがない。工場長の考えも分からない。
この状態を見えるようにするのがリレーションマップです。
リレーションマップとは、顧客内の主要人物、案件上の役割、自社との関係、人物同士のつながりを整理する図です。組織図を全部書き写す資料ではありません。
今回のテーマに関わる人物だけを置きます。そして、次の四つを分けて記録します。
- 案件上の役割:意思決定者、社内で進める人、利用責任者、審査担当など
- 態度と影響力:支持、中立、慎重・反対、未確認。社内への影響が強いか弱いか
- 自社との関係:強い、中程度、弱い、未接触
- 人物同士の関係:誰が誰へ報告し、誰と相談して意思決定するか
「役職が上だから意思決定者」「何度も会ったから関係が強い」と決めつけていないでしょうか。
役割と役職は同じとは限りません。関係の強さも、面談回数だけでは判断できません。
課題を確認できたか。ほかの関係者を紹介してもらえたか。次の行動を合意できたか。
こうした事実を根拠にします。
第3回で説明した「購買関係者グループ」は、今回の購入判断に関与する人たちです。リレーションマップは、その人たちの役割、影響関係、自社との関係を見えるようにする図です。二つは同じものではありません。
東都精機では、「1工場の生産計画と実績管理をそろえる」というテーマを置きます。情報システム、生産企画、工場、経理・経営、購買、情報セキュリティなどの主要人物を確認します。

※人物名、役割、関係性、接点は、この回の説明用の仮想例です。実際には顧客との会話や紹介で確認できた事実を根拠に更新します。
組織上の直属関係は基本線で示します。人物同士の案件上の関係は、確認できたものだけを足します。
線を増やすことが目的ではありません。
「次は誰と話す必要があるか」が分かれば十分です。重要だが未接触の人物は、そのまま「未接触」と置きます。紹介依頼などの次の行動は、アクションプランに書きます。
アクションプランで「次に何をするか」を決める
ここまで整理しても、次の行動が「生産企画部へ提案する」だけでは動けません。
自社の誰が、いつまでに、何をするのか。何を確認できたら、次へ進むのか。
ここまで決めるのがアクションプランです。
アクションプランとは、6〜12か月先の目標から、3か月後の到達点と直近の行動へ逆算した計画です。
東都精機なら、次のように置きます。
- 6〜12か月先:1工場で生産管理の検証を終え、他工場へ広げるか判断できる状態にする
- 3か月後:生産企画と工場責任者への聞き取りを終え、対象工場、課題、効果指標、導入条件を合意する
- 直近の行動:本社基幹システムの成果を確認し、情報システム部から生産企画部への紹介と初回面談を設定する

※期限、到達点、確認する証拠、次の判断をセットにした説明用の仮想例です。実際には顧客との合意や確認結果に応じて更新します。
では、直近の行動をもう少し具体的にしてみましょう。顧客側へ仕事を割り当てるのではなく、自社の担当者、期限、行動、完了条件を置きます。
- 企業担当/9月末まで:本社基幹システムで得られた成果を整理し、情報システム部へ生産企画部の紹介を依頼する。面談日と参加者が決まれば完了
- 技術担当/初回面談の3営業日前まで:現状のシステム構成と生産管理の仮説を1枚にまとめる。確認したい前提と質問がそろえば完了
- 企業担当と技術担当/初回面談で:生産企画・工場責任者へ、対象工場の課題、効果指標、導入条件を聞く。次に確認する人と項目を合意できれば完了
紹介が進まない場合はどうするか。課題が生産管理と違った場合はどうするか。
無理に提案を続けません。紹介を依頼した日、確認できた事実、まだ分からないこと、再確認する時期を残します。
進める条件だけでなく、保留・見直しの条件も決める。これが、担当者任せにしないためのポイントです。
日本企業の公開例から考える
既存顧客の拡大は、受注後に思いつきで追加提案することではありません。
SHIFTの中長期戦略では、新規顧客の開拓と、既存顧客への複数サービスの提案を成長の方向として示しています。
自社でも、最初の大型案件を取る役割と、受注後に成果を確認して取引を広げる役割を分けられないでしょうか。
大手製造業を顧客基盤に持つJFEシステムズの中期計画では、供給・販売・会計などの業務を支える複数のシステム領域が示されています。
公開資料は、複数の提供領域を持つ企業が、新規顧客と既存顧客の双方から成長をつくろうとしている例として読めます。では、自社では何を確認すればよいでしょうか。
現在の契約、まだ導入していない部署や用途、紹介してもらえそうな関係者、次の予算時期です。
これらを企業単位で並べることが、最初の一歩になります。
作成・更新する時間を先に確保する
ここまで読んで、「毎回つくるのは大変そうだ」と感じた方もいるのではないでしょうか。
顧客の計画、組織、導入状況、関係者、予算時期を調べる。過去の商談や導入情報とつなぐ。更新を続ける。
相応の時間がかかります。
だからこそ、アカウントプランの作成と更新を、正式な営業活動として扱う必要があります。「時間が空いたら作る」では続きません。
営業部の会議で、まず次の五つを合意します。
- 対象社数:売上、維持リスク、拡大余地、戦略上の重要性から重点顧客を絞る
- 時間の配分:初回作成、月次更新、四半期レビューの時間を予定表へ置く
- 役割分担:企業担当、顧客接点担当、専門担当、上長の誰が何を持つか決める
- レビュー方法:顧客の変化、事実と仮説、次の行動、保留・撤退条件を誰が確認するか決める
- 記録場所:顧客管理システム(CRM)や共有シートなど、チームが見る場所を一つにする
例えば、売上上位5社を重点顧客にするとします。
営業担当者へ「空いた時間で作っておいて」と頼むだけでは、日々の案件が優先されます。初回作成の期限はいつか。誰が月次で確認するか。専門担当は、どの段階から入るか。
ここまで決めて、アカウントプランを営業プロセスの一部にします。
一方で、すべての顧客へ作る必要はありません。拡大余地や顧客課題が見えない企業まで対象にすると、重要顧客へ使う時間が薄まります。
まずは、本当に時間を使うべき顧客を数社選ぶところから始めてはいかがでしょうか。
下調べの負担も見逃せません。企業の最新情報、正式な部署名や役職者、組織の変化、接点をつくる理由を毎回ゼロから整理すると、顧客との会話が後回しになります。
調査を効率化する手段として、Sales Retrieverを使う方法もあります。Sales Retriever公式サイトでは、企業情報の収集、部署・キーパーソンの調査、個社別のアプローチ準備を支援するサービスを紹介しています。
目的は、ツールで計画を自動的に完成させることではありません。営業が、顧客課題の確認と次の行動に時間を使えるようにすることです。
ツールの出力を、そのまま正解にもしません。公開情報の根拠を確認し、顧客との会話で事実を確かめます。
まずは重点顧客数社で、手作業にかかった時間、関係者情報の抜け、更新のしやすさを比べてみるとよいでしょう。
まとめ
既存顧客の取引は、担当者の経験だけに任せると、広げる機会が見えにくくなります。
まず、減った売上と広がった売上を分ける。次に、どこへ何を広げるかを並べる。必要な関係者を確認し、目標から直近の行動へ落とす。
これは、既存顧客向けABMを実行するための土台です。
重要顧客を企業単位で捉え、顧客の成果、取引余地、関係者、次の行動を一つにつなぐ。そして、営業だけでなく、導入・保守や専門担当も同じ計画を共有し、更新を続けます。
皆さんの営業会議では、重要顧客について「次に誰と、何を確認するか」まで話せているでしょうか。
まずは1社を選び、今分かっていることと、まだ分からないことを書き分けてみてください。
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執筆者
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Sales Retriever株式会社
代表取締役
松本 成行 Nariyuki Matsumoto
東京工業大学でAIを研究後、複数のスタートアップで事業開発に従事。その後、大手企業向けAIシステムの営業や、ABMによるマーケティング戦略に携わる。現在はSales Retrieverを創業し、AI・ABMの知見を生かして企業の大手開拓を支援している。
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